福井で経験した言葉「感謝」

Photo

コリー・ジョンソン

春は花夏はほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり
道元禅師(1200年〜53年)

 この歌の最後の部分「冬雪さえて冷しかりけり」には雪深い山の中で修行されたの道元さんが長い冬の美しさと悲しみとを目にして感じた「心が澄んで清らかになる」という思いに私も共感します。雪国に住む人々には少しでもこの冬に対する気持ちを共有できるかもしれません。皆さんは川端康成の「雪国」の中に道元さんの魂の叫びが聴こえてきますか。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」」という冒頭の書き出しはこの簡単な文章で始まります。しかし、今の私の頭の中には道元さんの雪も感じるし、電車の世界も工業化の途中の日本も鮮やかに浮かび上がってきます。一瞬の雪景色の中に隠された過去の歴史を私は思い描くことが出来る。

 福井駅を通る時、必ずホームへ列車を見に行きます。私は今春江に住んでいるので、市内に用事があったときには必ず時刻表を調べておかないと帰りの列車のために人気のないプラットホームで20〜30分待つ羽目になります。タイミングがよければ、退屈の間に駅を通る寝台列車を何本かが見ることが出来ます。それぞれの列車には物珍しい名前がつけられています。初めて見て乗ってみたい列車の一つが古くて昔ながらの無骨な「日本海」、次に「きたぐに」、神出鬼没の「トワイライトエクスプレス」はすべての列車が漆黒の闇の中から音もなくゆっくりと現れまるで挨拶するかのように私の前を通り過ぎて行きます。

 私はハワイで生まれ、ハワイ島の東海岸にあるヒロという小さな町で育ちました。だから始め私が列車に乗ったのは、大学の一年生で18歳になったとき、感謝祭の日に双子の弟を訪ねて、ボストンからワシントンDCまで行ったときのことです。それは全く下らない冒険でした。でも、初めて電車の世界をちょっとだけ理解できたのは春江中学校で生徒と話したときです。その子は卒業記念のプレゼントとして両親とトワイライトエクスプレスで北海道に連れて行ってくれたらいいのになと私に言ったのです。そのとき不思議なことに英語に興味のない生徒と私の間に共通するものが殆どない二人の間に一瞬で理解し会えるような感情が生まれたのです。そのことで日本人の感覚の一部が分かったかなというような気がしました。男子と話すと、まるで秘密にしていた彼女のことを告白するように電車の紹介をしてくれました。彼は嫌いな英語を使って、そのとき初めて授業で私に声をかけてきたのです。嫌いな英語を使って何とか私に伝えようとしていました。私は驚いて、どうして彼が私に話しかけてきたのかを同僚の先生に聞きました。彼女は文法的に正しく、簡単で意味の深い英語で「アメリカでは男の子はおもちゃの電車と遊ぶ。日本では、大人になってもその遊びを続ける。」と言いました。

 その言葉の意味が分かったのは、ある暗い冬の日、京都発の北陸本線の列車が雪のため、北陸トンネールを出たところで止まってしまい、1時間のはずの乗車時間が2時間半に伸ばされました。ふと車窓から見ると、私が乗っている「らいちょう」の写真を取っている二人を眼にしました。彼らは何を写っているのだろうか? 私はそのときから初めて自分の周りの人たちの存在が気になり始めました。前に座っているお爺さんは羽織っていたコートを座席の模様と重ね合わせてみると、なんとも不思議なペアルックになっていることに気がつきました。聞き耳を立てるつもりつもりはなかったのですが、列車が止まっている間に車内でいろんなことが聞こえてきて、次第にその雰囲気をだんだん感じることが出来るようになってきました。日本で短い間を過ごした外国人でも「雪見酒とはおつだねぇ」という風情がよく理解できると思います。でも、同じように川端康成の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の深さはアメリカ人の私に北陸本線での経験を通じて始めて分かったような気がします。

 日本では異文化が良く受け入れられています。イギリスから来た列車のように餃子、カレー、鉄板焼きなどがある日本ではそういう異文化を取り入れて自国風にアレンジするのは自然なことなのでしょう。一方アメリカではピザ、日本のアニメぐらいしか外国から来たものはありません。そのには深い国民性の違いが見られます。去年の大統領選のテーマは変革で、アメリカは国家として、伝統を守るよりどこまでも未来を見つめていくことです。確かに素直に外国からのものを受け入れる自信がないと思います。戦後、日米間には文化から政治経済に至るまで、強い結びつきがあります。でも日本のように、他の国からのものを受け入れて、完全なアメリカのものにしてしまうやり方をもし理解するなら近隣の国、自分の国、自分自身のことをもっとよく分かるのではないでしょうか。

 道元さんの「冬雪さえて冷しかりけり」の歌を外国人の私が言うと、あなたがたはちょっと不思議かなと思われるかもしれません。川端康成のノーベル文学賞受賞講演を読んでこの歌のことを知りました。川端さんの目的は「知られざる日本」を欧米に紹介することでした。でも、アメリカ人の私が言うと言葉の持つ印象を薄めてしまうかもわかりません。

 しかし、この歌を私は理解できるのです。

 あなた 追って 出雲崎
 悲しみの日本海
 愛を見失い 岸壁の上 
 落ちる涙は
 積もることのない
 まるで 海雪

 先の歌はジェロの「海雪」の部分でした。最近の歌ですが、川端さんが道元の言葉を使うのと同じ考えが言葉の中にあると思います。日本に暮らす間にどのようにして文学とか文芸が日本人の日常生活の中に自然に溶け込んでいるのが分かりました。長い歴史の中で何度も何度も使われ、生き抜いてきた言葉には価値があります。日本海と言うと、寝台列車だけでなく、歌の中にも文学の中にも生きていて、その重なった言葉の間から日本人の生活文化が染み出してくるように思います。

 雪に閉じ込められたおかげで一人のアメリカ人の私が日本人で込み合う列車の中で暖かさと心地よさを感じることが出来ました。列車が駅に着いて私を残して出発したとき、私の心の中はなんとも言えない清清しさで満ち溢れました。

戻る