変化している世界の中の我が国

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ハサノワ ナイリャ

 去年の秋2年半ぶりに国へ帰ってきました。キルギスは私が日本にいる間に大きく変わりました。

 まず、空港まで迎えに来てくれた2人の弟は背が高くなっていたり、容貌(ようぼう)も見違えるほどに変わっていたりで驚きました。その上、今までと違って歓迎の抱擁(ほうよう)もせず、「お帰りなさい」と言ってくれるだけでした。長く会っていないのに、何と冷たいと寂しく思ってしまったのですが、「ごめん、今はラマダンの精進中(しょうじんちゅう)だ」と2人が謝るのです。そうだったのか。以前と比べ、イスラムの影響が強くなってきているようです。

 空港から首都ビシケクに近づくにつれて道を走る車の数がどんどん増えました。以前は空(す)いていた道路が今はいつも渋滞しているようです。輸入された中古車の急増と、毎日数時間に渡る停電で信号が止まることと、交通ルールを守らない運転者が多いことが原因です。最初の1週間は怖くて1人で道が渡れませんでした。

 2年半の間恋しかった家族や友達に会うことができ、懐かしい故郷(こきょう)の食べ物を味わったりして毎日楽しく過ごしました。最近のスラングがわからなくても、思う存分母語で話せるのは、とても嬉しいことでした。しかし、もう1つの変化に気が付きました。キルギスは旧ソ連の国の1つで80以上の民族が住んでいる多民族国家です。ソ連がなくなってもロシア語は誰もが話せる共通語で、キルギス語と同じように広く使われていました。ところが、今回帰国してみると多くの施設で使われる言葉がキルギス語に換わっていました。例えば、バスの運転手とか、市場の店員とかにロシア語で話しかけると、白い目で見られることもあれば、買い物のおまけをしてもらえないこともありました。そこでロシア語を母語として使ってきた私はちょっと戸惑いを覚えました。しかし、キルギス語が全く分からないわけではないので、頑張ってキルギス語で喋り、次第に不便を感じなくなりました。でも、キルギス語が話せない少数民族の人にはキルギスでの生活がしにくくなってきていると思わないでもありません。

 日本に来るときまで働いていた病院と診療所へ挨拶に行ってきました。恩師や同僚の殆どが前と同じように働いていました。何年も修理されていない建物の中で古ぼけた機械を使う医者や研修員の姿を見ていたら、無意識に輝かしい日本の病院が思い浮かび、両者の間に巨大なギャップを感じました。それでも、長持ちさせる工夫をしながら今ある機械を大切にし、患者の元気を一刻も早く取り戻せるように頑張っている医者と、快復への努力をしている患者の姿は日本と変わりありません。やはり、国を問わず世界のどこの人も健康と幸せを願っているのです。キルギス医療のレベルが低い理由はもちろん、設備の問題だけではありません。ソ連のときから変わっていない古い基礎医学教育や医療関係者への安い給料のため、医者が病院でもらっているお金ではとても食べていけず、必ずしも医療と関係のない仕事もせざるを得ないので、医療に全力が注げないのです。日本のお医者さんのように集中して勤勉に仕事に励むことができたら、きっとキルギスの医学のレベルも上がり、医療サービスも良くなっていくことでしょう。

 現在、我が国が抱えている問題は医学の他にもたくさんあります。経済、政治、教育はもちろん、環境も深刻な状態です。急速に溶けている氷河、川の水の使いすぎ、空気汚染やごみ処理問題などです。問題といえば、どの国もその国なりの問題と世界共通の問題を持っていると思います。国の特殊な問題は各国が解決すべきですが、氷河が溶け出すようなことはキリギス一国では解決できません。環境の悪化や多発するテロや経済危機のような難題は、国と国が力を合わせて解決しなければ、これからの人類はこの地球で長くは暮らせないでしょう。絶滅しないために、私たち1人1人が自分の国を大事にすると同時に、世界に貢献ができるよう、視野を広げ、各自の力を発揮していきましょう。

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