福井で再び体験した「藤野先生の愛」・「心」と「心」が繋がる世界の愛

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龔 希明
(キョウ キメイ)

 皆さんもご存知だと思いますが、中国の文豪魯迅先生の恩師、藤野厳九郎先生は、福井県芦原市の生まれです。私の国「中国」では、小学校の国語教科書に載っている「藤野先生」という作品を殆どの生徒たちが暗誦しています。「以来、多くの見知らぬ先生に出会い、多くの新しい講義を聞くことができた。解剖学は二人の教授が分担した。最初は骨学である。その時入っていたのは痩せた色の黒い先生で、八字ひげに、眼鏡をかけ、大小さまざまの書物を重ねて脇に抱えていた。書物を置くなり、ゆっくり、区切り区切り、学生に向かって自己紹介をして言った。「私は藤野厳九郎という者であります。・・・」これは、魯迅先生の作品「藤野先生」の中で描いた主人公の登場場面ですが、私も小学校で勉強し、今もなお、心に深く残っています。

 「藤野先生」が、国や世代を超えて読み継がれているのは、人の心を打つ感動的なエピソードだけでなく、現代社会に通じる、普遍的なテーマと教訓を含んでいるからではないでしょうか。私は、小学校で「藤野先生」の作品と出会って十数年、とうとう藤野先生の縁の地「福井」と出会いました。期待と不安を持って、初めて「福井」に着いた時、どこからか「ほやほや」という言葉が耳に入ってきました。故郷、中国の義烏市では、同じ発音「ほやほや」で、同じ意味の「そうそう(好的好的)」となります。異国で故郷の方言を聞くのは、大変驚き、なんと嬉しいことでしょう。その時から、福井への親切感がますます増えました。そして感情を抑え切れず、つい「憧れの福井」という曲を自分で作ってしまいました。「遠方から眺めて、夢であなたに近づき、何回も心祈るよ、福井への憧れ」。昨年の春4月に、福井県庁の国際交流員として来日した時、この藤野先生ゆかりの地で、一年間の生活を、豊かに過ごして行きたい、そして過ごして行けると、心から実感しました。

 「ダダダダー」っと白菜を切る音が聞こえ、軽く扉を押しますと、そこで私を迎えたのは居心地のよい雰囲気と、子供の頃おばあちゃんの家に行ったことを思い出させるような、食欲をそそるイイ匂いでした。中国の飾り物が壁に掛けられ、中国のお茶や食材がずらりと棚に並んでいました。カウンターに座ると、お店の方がぺらぺらの中国語で親切に対応してくれました。手作り水餃子の店「ニイハオ」の寺山さん夫妻でした。ここで、私の「藤野先生」と言える寺山良子おばあちゃんに出会いました。

 銀色の髪の毛、素敵な顔、優しい心遣い。寺山おばあちゃんとは、初めて会ったのに、すごい親近感が沸いてきました。おばあちゃんの話からは、おばあちゃんが18年間も暮らした中国を故郷のように思う気持ちがしみじみと感じられました。「中国が大好きです。青春時代の美しい思い出が全部中国にあり、いつまでも心に残っています。今はもう片目が見えないけれど、また中国へ行って、昔の友達と会いたいなあ」と、おばあちゃんは、本当に楽しそうで、目が輝いていました。しばらくして、寺山おばあちゃんが、わざわざ私に会いに職場まで来てくれました。80歳のおばあちゃんが杖をつきながら私の前に現れた時は、とてもうれしく、感動し、胸が痛くなりました。

 「最近はどうでした?お元気?北京オリンピックを見ましたか?」おばあちゃんが私に尋ねました。
 「ええ、毎日テレビの前に座って、夢中に。」
 「きっと現場で見たかったでしょうね。ほら、このオリンピックのボールペンをあげましょう。記念にして、これからも頑張ってね。」

 片目が見えないのに、わざわざ歩いて持って来てくれた。これはただの一つのボールペンではなく、おばあちゃんの暖かい「心」です。おばあちゃんは「藤野先生」のように、心で私を励ましてくれました。

 私達国際交流員は母国の文化の大使です。地域のみなさんが私達を通じて、母国を見ているのです。私は、日本の文化に大変関心があり、自分の肌でいっぱい体験したいと思っています。私もこの日本で「藤野先生」のように、国境を超えて、人と人との「心の繋がり」を結ぶ役として力を尽くしたいと思っています。

 私は国際交流員として、国際理解講座をはじめ、学校訪問や児童交流、「ハローワールド」などで福井の子供達と接触する機会が多くあります。子供達に母国のことを知ってもらうために、中国の学校の様子や子供達の生活を紹介したり、クイズやゲームをしたり楽しく過ごしています。

 今年7月に、私は浙江省台州市と敦賀市の児童交流活動に参加しました。短い交流時間でしたが、交流活動やホームステイでのカレー作りなどの体験を通じて、子供たちの間に深い友情を築くことができ、全員が家族の一員のようになりました。懇談会のとき、子供達は次々と自分の夢を語り合いました。

 「先生、私は卓球選手になりたい!福原愛ちゃんのように中国へ練習に行きたい。」
 「お姉ちゃん、ホームステイの家族と別れるとき涙が止まらなかった、本当の家族のようになった。」
 「中国へ帰ってから、日本の子供とのふれあいと友情を、漫画にして友達に紹介したい。」

 子供たちの純粋な心と心の交流は、私を深く感動させました。その後、生徒達からお手紙をもらいました。「人との出会いをこれから大切にして、将来、先生のような国際交流員になりたいと思います」と書かれていました。

 2008年の福井国際フェスティバルで、私は中国の歌や、民族舞踊や劇など、幾つかのパフォーマンスを行いました。母国の文化を紹介したいと思い一生懸命がんばりました。それは、見に来て頂いたみなさんの関心を引くことよりも、みんな家族のように一緒に楽しんでいる事の方がもっと嬉しく思いました。観客席には多くの方に応援して頂き、控え室ではお姉さんがお化粧を手伝ってくれました。また、舞台では多くの家族が一緒になり上演するなど、多数の異文化が混ざった会場が、一瞬間のうちに一つになりました。

 一人っ子である私は今まで経験したことのない事。

 一つの大きな家族のような「世界の愛」を肌で感じることができました。今、本当に幸せでいっぱいです。

 本当の幸せは、自分の心を豊かにして人々に愛を伝え、暖かい結び付きを築くものだと思います。心と心の輪を分子のように世界中へ広げれば、幸せの数値も更に大きくなるものと思います。

 小さい頃から「幸せなら手をたたこう」という歌が大すきでした。私は回りの多くの人々に、愛と幸せを伝えていきたいと思っています。将来の夢を「外交官」を目指すことを心に決めました。

 藤野先生は、魯迅にとって恩師です。藤野先生は魯迅の心に住み続け、時に励まし、時に慰め、勇気を与えました。藤野先生との出会いで、魯迅の心に命の息が吹き込まれたのです。私は福井との出会いによって、「藤野先生」の大きな愛を感じ、大きな影響を受けました。日本に暮らす間に改めて感じた「藤野先生」の大きな愛、心と心の結びつきが、いつでも、いつまでも私を支えてくれるとともに、春の気配が深くなるように、世界が先生の大きな愛で包まれるものと信じています。

 ご清聴、ありがとうございました!

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