家族に「ありがとう」と言いたい

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楊 艶男

 中国には「親情」という言葉があります。この言葉の意味は親子、兄弟などのように、自分と血縁関係にある人の情という意味です。小学校の時、国語の授業でその言葉の意味を勉強したことがあったので、子供のころからその意味を知っていました。でも、私は国にいた時、肉親の情はどんなものかわかりませんでした。毎日家族と一緒に生活していたので、どんなことでもしてくれるのが当たり前だと思っていました。

 私は生まれてから日本へ来るまで、小さいことでも自分でしませんでした。なんでも親や姉や弟が手伝ってくれて、それは家族がしなければならないことだと思っていました。 家族に感謝する気持ちが全然ありませんでした。私はとてもわがままな人です。例えば、子供の時、もしほしいおもちゃがあったら、絶対に手に入れようとしました。両親が買わないと、すぐかんしゃくを起こしました。高校生の時、生活費がなかったら両親に言ってもらい、少なかったら文句を言いました。それは恥ずかしくないことだと思いました。

 今家族と離れて、日本へ留学に来ました。おばと一緒に住んでいるので、困ったことがあってもおばに手伝ってもらえるので、やはり自立することができません。今も、おばが私に何でもすることは当たり前のことだと思っています。ある日、おばの店でアルバイトをしていた時、ある小さいことに気づきました。それは家族4人のお客様が食事していた風景でした。わたしが料理を出した時、そのお父さんとお母さんは丁寧に「すみません」といいました。二人の子供も親の様子をまねて、私の顔を見て「すみません」と言いました。子供はしつけがいいと思いました。それから、お母さんが子供に水を注いだ時、はしを渡した時、二人の子供は「ありがとう」と言いました。私はその様子を見て、とてもびっくりしました。親はそんな小さいことをしただけなのだから、子供は丁寧にありがとうという必要はないと思いました。親は親だからこそ、子供に何でもするのは当たり前のことなのではないでしょうか。私はそんなことは必要じゃないと思っていましたが、今考え方が変わってきました。そんな小さい子供にも親に感謝する気持ちがありました。私は大人になったけれども、親に感謝する気持ちがありませんでした。それは恥ずかしいことだと思いました。

 私は国で親が理解できなかったことを思い出しました。高校生の時、私は機嫌が悪かったら、よく親に怒りました。例えば、週末の休みに家に帰ったときのことです。母は掃除をしていました。そして、「一緒に掃除しましょう」と言いました。わたしは「宿題もするし、時間がない」と言いました。私が自分の部屋に入ろうとしたとたん、母は「立ち止まって」と言って、大きな目の怖い顔で私の方をじっと見ました。「あなたは高校生なのに掃除もしない。毎日何をしているの。あなたがしなければならないことは勉強だけ?あなたの人生が今後どうなるか考えたことがある?」。「お母さんはどうして私のことを理解してくれないの」。私は涙ながらに言いました。母の顔を見ると泣いていました。母は母だから、私のことを愛しているから、掃除をしてあげない方がいいと思ったのです。その後、私は毎週末、家に帰って掃除しなければならなくなりました。それは私が一番したくないことでしたが、しょうがないのでした。

 今私は日本の子供たちが親に「ありがとう」と言ったことを思い出し、自分は本当に学校で何も勉強していなかったと思いました。感謝する気持ちがないと、私の人生はどうなるかわかりません。それがきっかけで、私の考え方は変わりました。今おばと一緒に日本に住んでいて、いろいろな世話をしてもらっています。私は今中国に住んでいる母とおばに「本当にありがとう」と言いたいです。

 家族がいるからこそ、今の私がいるという気持ちがうまれました。おばがいるからこそ、私は日本へ留学に来るチャンスを手に入れました。家族は私を愛しているので、なんでもしてくれました。でも、それを当たり前のことだと思わないで、感謝する気持ちをもつことこそが大切だと思います。日本人がよく家族に「ありがとう」と言うのはとてもいいと思います。中国では、親しい人に「ありがとう」と言ったら、不自然で恥ずかしいと思うかもしれません。また、それは中国人にとってとても苦手なことだと思います。でも言葉は自分の気持ちを表すことができるし、家族といいコミュニケーションができます。日本での生活体験を通して、改めて母国での考え方を感じました。今人生の道も決まりました。私は自分のためだけではなく、家族のためにも頑張ります。

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