福井で経験したこと

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Weiss Tobias
(ヴァイス トビアス)

 私はこの弁論大会の募集を見た時、「福井で経験したこと」というテーマに戸惑いました。弁論というのは、ある問題について自分の意見を述べ、解決するための主張を組み立てることだと思います。しかし、福井で経験したことについて問題点を見つけて論じることは難しいので、私のスピーチは弁論というよりは体験談です。

 私は福井で何を経験しただろうか?ドイツでは、両親と姉と一緒に暮らしていました。福井で、初めて一人暮らしをしています。大学が見つけてくれたマンションは「きらく荘ハイム」という名前でした。ハイムという言葉は、ドイツ語じゃないか!それは家とか家庭という意味です。ただの家というより「ふるさと」というニュアンスがあります。なんだか、これからいいことがありそうな気分で、福井の生活を始めました。

 生活が少し落ち着くと、サッカー部に入りました。福井大学のサッカー部は、火曜日から土曜日まで練習があります。サッカー部のメンバーはとても強靱な人たちで、雨の日でも雪の日でも練習します。時々、仲間どうしで飲み会というものをします。ドイツでは、普通、お酒は友達の家のパーティで飲みます。日本の飲み会は、居酒屋でやります。食べて、飲んで、しゃべり続けます。飲みすぎて外に放り出されてしまった仲間もいます。そんな楽しくも激しい夜の翌日に、またグラウンドに現れるメンバーに、私は感服するほかありません。こうした小さなひとつひとつの出来事が私にとっては新鮮な経験でした。

 大学と友達以外に、福井での生活の中心は、大学近くにあるスーパー「みつわ」という店です。それはデパートといってもいいぐらいたくさん品物がそろっています。パンから靴下、石油ストーブまで何でも売っています。おまけにカフェのようにゆっくり座れる場所もあります。私は殆んど毎日、「みつわ」へ買い物に行きます。マンションのインテリアの大半は、「みつわ」で買った物です。

 その「みつわ」で、冬休みのある日、大変な事が起きました。図書館が休みだったので、「みつわ」のカフェで一人で勉強していました。夢中で考え込んでいると、突然明かりが消え、シャッターが下りる音がしました。知らないうちに閉店時間になっていました。私がまだ店の中にいることに店員は気がつかなかったのです。閉じ込められる!シャッターが下りる音に恐怖を感じました。暗い寒い店の中で、一夜を過ごす様子が頭に浮かびます。急いで出口のほうへ駆けだして、シャッターの隣にあるドアをどんどんとたたきました。すると、左手のカウンターの向こうから、「オープン、オープン」という声が聞こえて、シャッターが上がりました。間一髪(かんいっぱつ)。やっとのことで逃げられました!

 外国で暮らす人は誰でも、いくつかの新鮮な経験をします。私はドイツで三年間、日本の言語や文化を勉強し、以前にも日本へ来たことがあります。それなりに準備をして福井に来たつもりです。それでも、難しい場面に出会います。それは、たとえば、この間、銭湯で経験したような小さな戸惑いです。銭湯が大好きな私は、日本のしきたりどおり、お風呂に入る前に体を洗い、お風呂を出て、脱衣所に入る前に体を拭きました。服を着ると冷たい牛乳が飲みたくなりました。牛乳を買って、それをテレビの前でゆっくり飲もうとしたら、フタの開け方がわからないのです!いったいどうやってこれを開ければいいのだろうか。開けかたについての説明も、フタを引っ張る紐も何もありません。困りました。そっと周囲を見回して、ヒントを探しましたが、まったくありません。隣に座っているおばさんが不審そうに見ていたので、何ともないふりをして椅子にもたれました。いろいろ考えた挙げ句、指でフタを押し込めることにしました。その結果、どうなったか。牛乳がバーッと飛び散って牛乳だらけになってしまったのです。恥ずかしさでいっぱいでした。火照った顔で帰ろうとすると、銭湯の人はニコニコしながら「ありがとうございました。また来てね」と言ってくれました。次に銭湯へ行った時に牛乳の自販機を点検したら、フタを開ける針が自販機の横にかかっていました。「あ〜。なるほど」と苦笑いするほかなかったです。

 文化や習慣の違いから、「どうしたらいいんだろ?」と戸惑うことがありますが、日常の小さな戸惑いは、ユーモアで受け止めることが大切だと思います。ここで取り上げた小さな出来事は、取るに足りないことかもしれません。しかし、私にとって、この4ヶ月間の福井での経験は、大きな文化的ギャップというよりは、無数の小さな出来事のすべてから成り立つイメージなのです。そのイメージを反映するような話をスピーチにしてみました。

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