自分の将来を見つけること

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Ross Millie Ojeda Vega
(ロース ミリエ オヘダ ベガ)

 皆さん、こんにちは。ロースと言います。どうぞよろしくお願いします。

 今17歳で、日本で4年になりました。いい将来が見つかるとして日本へ来ました。日本では、自分の国より夢をかなえることは簡単だと思っていました。日本へ初めて来た時は13歳で日本語が全然わからなかったので、日本人によくいじめられました。一年間勉強ができませんでしたが、次の年に武生と言う町に引っ越しして、日本語教室に入って5ケ月間で日本語の4級を終えました。

 そして、日本語の3級を勉強しながら、中学校の3年生に入りました。その同じ年に敦賀に引っ越しして、敦賀の中学校に変わりました。3月になり、中学校を卒業しました。高校に入りたかったんですが、入ることができませんでした。その時に多いに幻滅を感じて、心がとても痛くなりました。日本の高校に入れなくて、私にとっていい将来の目的を達成することの機会はなくなったと思っていまいた。でも、諦めないで、負けないで、みんなに私が目的を達成することを示そうと思いました。敦賀で色々な勉強をしたかったんですが、いつも「この学校は、外人は入れません」と言われたんです。あんな言葉を聞いて、とても悲しくなって、成功を達成する方法が見つかるようにがんばろう、強くなろうとする気持ちがわいてきました。

 日本で勉強ができないのなら、チリへ帰国して勉強しようと決めてしまいました。そして、大学生になる夢をかなえようと思いました。チリはとても危ない国で、帰国する前に武道の世界に入ることにしました。その年の11月、合気道に入りました。合気道に入った時に、別の世界だと思いました。みんな各人、愛情関係をもっていて、驚かされました。みんなとても親切にしてくれました。その前に日本人は外国人がきらいで、日本人はみんな人種的優越感をもっていると思っていましたが、合気道の稽古を一緒にやっている人たちのおかげで、私は日本人について思っていたことがかわってきて、みんな同じじゃないという考えに変わりました。それで今、私は合気道の稽古を一緒にやっている人たちみんなが、とても親切にしてくれてとても感謝しています。

 一ケ月後、日本語能力試験の3級に受かって、日本語の2級の勉強を始めました。そして、私はチリへ帰国することはできなくなりました。ですから、次の年にアルバイトを始めました。敦賀のマクドナルドでお客さんをうけていました。そのアルバイトに入った時はとても大変でした。まだ分からなかった言葉がたくさんあって、お客さんをうけることがとても恥ずかしくなっていました。それで、たくさんのお客さんにいじめられていました。「君はいらない」とか、「日本語を覚えとけ!」とか言われていて、とても悲しくなって、私は何もできないという気持ちになっていました。成功を達成するための方法を見つけることはとても難しかった。その仕事は初めての仕事でした。

 一ケ月後、お客さんをていねいにうけられるようになりました。そして、何人かのお客さんに道であうと、とてもあたたかいあいさつをされていました。それは私にとって仕事でよく頑張っているという意味だと思っています。そして、そんな経験があって、もし難しいことがあっても、頑張ろうとしてたら、ぜったいできるようになると思うようになりました。マクドナルドは7ケ月でやめました。とてもきちょうな経験だったと思います。友達ができましたし、たくさんのやさしいお客さんと知り合えました。でも、仕事がとてもストレスになってきて、やめることにしました。私はやりたかったこととか、勉強したかったこととかが、できなくても、いつも日本にはたくさんの食べ物があって、生きていることをありがたく思っていました。

 現在、コンビニでアルバイトをしています。そして、将来にどうなるかよく分かりませんが、今年の12月に日本語能力試験の2級をうけるつもりです。

 最後に日本はとても静かな国で、日本にずっと住みたいです。それで、日本に慣れて、また日本のおかげでいろんな経験をもらって、好きになりました。それと、私の国で家族にしてあげられないことも日本ではしてあげられます。もし、20歳の時まだどくしんなら、チリへ帰国して、スペイン語と日本語のつうやくになりたいです。でも、もし日本で結婚ができて、子供がいたら、日本にずっと住むことになります。私はチリでのつうやくの夢をかないませんが、子供が自分の夢をかなえられるようにいろいろしてあげたいと思います。

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