グッと力を入れて、パッとはらう

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Matthew Hafner
(マシュー ハフナー)

 僕は2006年、外国語指導助手(ALT)として福井県の越前市に来ました。日本にいるという千載一遇の機会を生かす為には、昔からずっと伝わってきた日本文化を学ばなければいけないと思いました。弓道、華道、茶道などの文化的な活動に参加してみたいと思いました。僕にとっては空手等の武道が自分の性格に向いていないと思ったので、書道に挑戦しようと思っていました。以前、大阪に留学したときに少し試したし、楽しかったので、それを続けられたらいいなと思ったからです。その時、字を書くのは確かに面白かったのですが、字というものの深い意味について考えたことは一度もありませんでした。

 話を進める前に、1つ言わないといけません。僕の英語の字は非常に汚いので他の人だけじゃなくて僕自身もとても読みにくいです。恥ずかしいですが、今でも僕の大学時代のノートを見たら、何が書いてあるのか読めないというときが少なくないです。それに絵なんて上手に描けません。人間の姿を書けと言われたら、僕には、丸と線で描いた人間しかできません。楽器も歌も無理です。今まで芸術的な才能などなにもありませんでした。しかし、日本語を勉強し始めたばかりの頃、思いがけず日本語の先生にこう褒められました。「字をきれいに書いたね。」という言葉が宿題に書いてありました。小学校の時から字のことでは叱られたことしかない僕が初めて褒められて、うれしくて、その紙を日本語が読めないアメリカにいる母にまで送りました。漢字をきれいに書けることはすごいなぁと感じて、日本語を勉強する意欲が更にわいてきました。

 今回、武生に住むことがきっかけで書道にもう一度挑戦することにしました。友人を通じて、武生で書道を指導していらっしゃる南出龍雲先生に紹介してもらいました。龍雲先生に出会ってから、僕の漢字についての意識が大きく変わりました。先生の教室は武生の白山地区にある公民館で行われます。4人のアメリカ人が先生のご指導のもと、6人の武生第五中学校の生徒と一緒に習字を勉強しています。習字を始める前に、僕は先生の話す言葉が分かるかどうかが心配でした。初めての授業は正直に言うと分からないことが多かったですが、大筆の持ち方から線の書き方まで先生が大きな身ぶりや声の強弱などで分かりやすく説明して下さいました。教室に通ううちに先生の福井弁のなまりにもだんだん慣れてきました。

 先生が僕たちの書いた作品を評価するときに、「ぐっと」、「がんと」、「ぱっと」、などの表現で、書道の専門的な言葉がわからない僕たちに、練習している漢字の悪いところを教えてくれます。先生はまるで口ぐせのように「グッと力を入れて、パッとはらう」と言います。それはどういう意味かといえば、例で説明した方がわかりやすいかもしれません。大という字を想像して下さい。鉛筆で書く場合は右下の三つ目の線に三角の形は出てこないでしょうが、筆で書く場合は右下の三つ目の線は三角の形にならなくてはならないのです。もしそうでなければ、字がしっかりとしているようには見えません。大の横棒が傾いてしまうように感じられます。「グッと力を入れて、パッとはらう」というのは大の三つ目の線を書き始めるときにまず線が細く見えます。力が10%ぐらいです。線が長くなるにつれて線が急に太くなります。それでグッと力を入れます。力が100%です。でも、それで終わりません。最後に筆を右にパッとはらいます。そうすると、美しい三角の形が出てくるはずです。力をちゃんと入れなかったり、ちゃんとはらわなかったら字は失敗です。僕にとってはその線をきれいに書くのは大変難しいことなのです。何回もそういう失敗をしたことがあります。

 「グッと力を入れて、パッとはらう」を人生にたとえるならば、それはこういうことだと思います。「大」のような堂々としている字は、筆で書くときは100%グッと力を入れないと、どうしても字は不安定に見えます。人生も字と同じように、なさなければならないときにグッと力を入れないと、不安定になります。パッとはらうというのは情熱です。例えば、筆で大の三つ目の線の最後までちゃんとはらう気がなかったら、字を書く必要はないと思います。どんなことでも最後までする情熱がないと人生も美しく見えません。グッと力を入れ、パッとはらえば大という字が整ってきます。去年のある日初段の試験の課題になった「秋菊清且香(あきのきくはきよいかつかおる)」という五つの字を行書で練習をした時は字を半紙にまとめることができませんでした。僕はあきらめようかと思いましたが、先生が黒板に「感動」と書きました。そして、こうおっしゃいました。「感動というのは心を入れて、喜ぶことです」。つまり書道というものは、ただ字をきれいに書くのみではなくその字を生かさなければなりません。そうすれば字も人生もしっかりしたものになるでしょう。先生のおかげで初段に合格しました。これからもグッと力を入れ、パッとはらいながら、有意義な人生を送っていきたいと思います。

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