福井で経験した言葉「感謝」

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丁 燕
(ティ エン)

 私は2000年福井に留学しにきてから、はやくも7年に経ちました。今、県立大学大学院の博士課程後期に在学しながら、仕事にも勤めています。そして、二児の母でもあります。友人達はよく私に、大丈夫ですか、なんでこんなに頑張れるか、などと聞きます。私は全然つらいと思ったことはなく、毎日とても楽しく充実して過ごしています。私は、私が第二の人生を歩いている福井という土地に感謝しています。福井でこそ、仕事しながら、学問の研究も続けられます。福井でこそ、子育てしながら、自分がたてている目標に進むことができます。

 私は福井に来たとき、すでに28歳で、それまでに、中国上海での10年間の小学校の国語担任の職歴がありました。日本語が殆ど喋れない私に、福井県国際交流会館の日本語ボランティアの先生達が手を引いてくれました。週2回の個人レッスン。先生はとても優しい方で、レッスン中に私をいつも褒めてくださり、また、授業時間もよく無料で延長してくださり、今思っても感謝の気持ちでいっぱいです。その時の私は、他国異郷で、主人のサポートがあるけれども、やっぱり、言葉のせいで寂しいと思ったことが沢山あります。こんな温かい先生との出会いによってこそ、日本語の難関を乗り越えることができ、そして、福井県立大学の入学試験を合格できました。

 福井県立大学で、私は、学部と大学院を通して今年まで6年間を過ごしました。この6年間たくさんの思い出があって、どこから言えばいいのか、本当に選ぶのが難しいのですが、まず、学校の体制から言うと、私たち自費留学生に対し、学部1,2年生の時に、チューター制度があります。それは、留学生が生活と学習に早く慣れるためにという、学校の配慮です。この制度によって、私は同級生のユキちゃんと友達になれました。彼女はいつも声をかけてくれて、授業に関する質問に真摯で教えてくれます。特に3年生の時、私が一人目の子供を生む時に、彼女は自分がきれいに整理したノートを私に貸してくれて、私もとても心強くなって、よい成績で学部の単位を3年目で取得できました。残り一年、子育てしながら、論文を書きました。

 子供を出産したときに、福井総合病院の先生達と看護婦さん達に大変お世話になりました。福井の病院は上海の病院とは全然違う雰囲気でした。上海の病院に行くと、先生に診てもらう前に、とっても落ち着くことができません。回りで沢山の病人が大声で喋りながら、長い行例を並んでいます。看護婦さん達も毎日ハードに働いているから、優しい声が出なくなります。福井の病院はいつも椅子に座りながら、リラックスした気分で先生の診察をまつことができます。特に、産婦人科では、妊婦の検診時間は予約制で、そして、診察室に入ると看護婦さんとお医者さんがいつもニコニコ話をかけてくれます。何か疑問があるときには、細かく優しく教えてくれます。入院の時に、あいにく地震がありました。その時の看護婦さんの反応に私はびっくりしました。地震だと感じた後、30秒経たない内に、看護婦さんが目の前に現れて、大丈夫ですかと声がかけてくれました。さすが、としかいいようがありません。

 出産後に、すぐ学校へ戻る時に想像もできないことに逢いました。うちの大学の清掃のお仕事をしている方達が、私に赤ちゃんの出生祝いをくれました。福井の人情の温かさを深く味わいました。

 間も無く、出産看護で福井に来た両親が帰国しました。しばらく私と主人、二人が交番で赤ちゃんの面倒を見ました。主人はその時まだうちの大学院の一年生で、多くの授業を受けなければなりませんでした。二人がなかなかうまくできないときもあります。短期間だったら、どちらかが授業を欠席することはできるけど、子育ては短期間ではありません。幸い大和田保育園は2ヶ月からの赤ちゃんが入園できるで、私の赤ちゃんは6ヶ月で入園しました。ちなみに、上海では、2歳かつオムツをぬいだ子供しか入園できません。私が学業を進めることができるのは保育園の支えがあればこそ。また、県の福祉制度の1つとして、毎月第3日曜日の家庭の日というのがあり、この日は県の施設すべてに無料で入れます。出産から、子供の入園まで、私は福井で日本の福祉制度を実感しました。資本主義の日本が社会主義の中国よりも、マルクス主義的と言えるかもしれない一面でした。

 学部の4年間、勉強の楽しさを沢山先生達からいただきました。特に、内の大学は少人数のゼミ課程を実施しています。このゼミ課程により、先生達と学生の距離が縮んで、いろんな話題が話せる、また、学生達は先生から適性指導も受けられます。とてもすばらしい制度です。勉強の楽しさが原動力になって、私は大学院に合格しました。

 大学院の勉強は、学部とまた違い、授業はすべて少人数で、先生と授業中に議論することも出来ます。先生達に身近く、学問の勉強が出来ることによって、自分の見解の浅さ、または、知識の狭さ、などなどを日々感じました。より一層、勉強のパワーになりました。また、修士論文を書く時に、指導教授岡先生の教え方に私は深く影響を受けました。先生は、自分の専門分野ではなく、そして私は主ゼミ生ではないのに、いっぱい資料を調べて、私のために細かく手書きで論文を修正してくれました。最後の謝恩会で、自分の専門分野ではない論文を書いて、勉強させてくれたことを私たち学生に感謝しました。一期一会、岡先生と出会った事が私には重要な分岐点であったかもしれません。私は先生からもらった、学問の方法、また、指導者としてのあるべき姿を吸収して、いずれ、自分も大学の先生になって、先生のような勤勉または、熱心な教師になりたいです。

 福井での7年間は、私にとって貴重な7年間でした。日本語を身につけて、大学に入り、子供を生んで、就職を決めて、博士後期課程を続けて、私の人生の大事なことが殆どは福井で経験しました。これらの夢を実現できたのは、福井の人情温かさと福祉制度のおかけです。私のような、母親であり、学生であり、会社員である人は少ないと思います。これから、私は福井で経験したこと、勉強の楽しさ、子育ての楽しさ、をみんなに分けてあげたいです。みんなにも、福井の良さを知ってもらいたいです。

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